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京都地方裁判所 昭和60年(ワ)1982号 判決 1990年7月18日

原告 西田一

右訴訟代理人弁護士 高田良爾

同 村松いづみ

同 竹下義樹

同 尾藤廣喜

同 中島晃

同 中村和雄

同 北條雅英

同 出口治夫

同 三重利典

同 飯田昭

被告 京都府

右代表者知事 荒巻禎一

右訴訟代理人弁護士 小林昭

主文

一  被告は、原告に対し、金一五九万六〇六六円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金二〇九万六〇六六円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張及び認否

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和二八年九月一日より同五八年三月三一日までの間、京都府立聾学校(以下「聾学校」という。)の教職員として勤務し、同年四月一日以後地方公務員共済組合年金(以下「共済年金」という。)を受給しているものである。

(二) 被告は、昭和二八年九月一日より同五八年三月三一日まで原告を聾学校の教職員として採用してきたものである。

2  事実経過

(一) 原告は、大正一二年三月五日、京都市伏見区において出生したが、京都府立医科大学予科大学在学中の昭和一五年六月ころ、ジフテリアにより聴力が低下し始め、九〇デシベル以上の聴力を喪失した重度聴覚障害者となったため、同一七年三月二日同校を中途退学し、同二二年四月聾学校研究科に入学し、翌年三月同科を修了後退学した。その後原告は、昼は仕立業の見習いをしながら、夜間旧制立命館専門学校に通い、同二六年三月に同校を卒業し、同年四月には立命館大学へ進学し、同二八年同大学を卒業した。

(二) 原告は、昭和二八年三月二一日、中学校教諭一級及び高等学校教諭二級の教員免許をそれぞれ取得した後、同年九月一日より聾学校中学部、国語及び社会科の講師として赴任し、引き続き翌年四月一日からは同校同部の紳士服科(職業科)の講師となった。同二九年一二月三日京都府教育委員会(以下「府教委」という。)は、原告に教諭たる身分を証明する資格証明書を発行している。

そして、原告は、同三〇年四月から高等部の紳士服科(家庭技芸科)の一部をも担当するようになった。

(三) 他方、被告は、昭和三〇年五月一日に原告を助手として採用した。そして、原告はその後同三七年三月三一日まで約七年間、同身分で校務分掌や中学部及び高等部の紳士服科の授業を中心に単独で授業を担当していた。それまで原告は再三にわたり、右職務にふさわしい身分として教諭に採用するよう府教委教育長に申し入れたが、被告は直ちに採用することなく、同三七年四月一日に至ってようやく原告を教諭に採用した。

(四) 原告は、昭和三七年四月以降、二一年間同校の紳士服科あるいは染色科、国語、英語の担当教諭として勤めた後、同五八年三月三一日をもって退職した。

(五) 原告は、昭和五八年四月以降の共済年金の受給申請を行い、同年七月一一日年金支給決定を受けた。その年金額は、年額で一九六万九六〇〇円であり、原告が同三七年三月末まで助手であったために、当時の地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法一二条一項二号に基づき、原告が本来受けるべき年金年額二三二万六六九七円より一定額が控除された後の年金額であった。

原告は右決定を不服として、同五八年八月三一日、公立学校共済組合審査会に対し、異議申立を行ったが、右審査会は同六〇年六月一二日右申立を却下した。

右控除は、同六〇年に右控除規定が削除されて同六一年四月一日に施行されるまで続き、その控除額は、同五八年四月一日から同五九年三月三一日まで三五万七〇九七円、同年四月一日から同六〇年三月三一日まで三六万三七九三円、同年四月一日から同六一年三月三一日まで三七万五一七六円の合計一〇九万六〇六六円であった。

3  原告の職務内容

(一) 原告は、昭和二八年三月二一日、教員免許を取得し、訴外岡崎さかえ先生らの紹介(推薦)により、同年九月一日、聾学校に講師として採用された。

(二) 原告は、昭和二八年九月一日から翌年三月末日まで、別表1記載のとおり、講師として聾学校中学部の国語及び社会の授業を週一〇時間担当し、月曜から土曜まで連日出勤していた。そして、同二九年四月一日からは同表記載のとおり同部の紳士服科の授業を週二〇時間以上担当するようになり、同三〇年四月一日からは中学部のほか、高等部の紳士服科の授業をも担当し、同年五月一日には助手として採用されたうえで同校中学部、高等部の紳士服科の授業を同表記載のとおり、週二〇時間から二八時間担当した。

(三) 原告は、昭和二九年四月一日以降、自らの担当する授業はもとより他の非常勤講師の授業計画をも立てていた。

また、原告は、別表2記載のとおり、同二九年、三〇年度は図書部の係を担当し、その後も同表記載のとおり、指導部職業係、中学部補導係、庶務部渉外係、進路指導など多くの校務を分掌させられ、遂行した。

他方、聾学校の中・高等部の多くの生徒は、口話、手話併用によらなければ意思疎通が困難な状況にあったにもかかわらず、当時、教職員の多くは手話が使えなかった。従って、大半の教職員は生徒との意思疎通を充分図ることができなかった。そこで、手話通訳に長けていた原告がこれら教職員の求めに応じ、生徒との意思疎通を図るうえで欠かせない役割を果たしていた。しかも、昼の勤務時間にとどまらず、夜間にも問題が発生した場合には、生徒指導のため原告は連絡を受けて生徒に接触しなければならなかった。

(四) 被告は、昭和三〇年五月一日に原告を助手として採用して以来同三七年三月末日までの約七年間、原告に前述したような職務を単独で遂行させ、ようやく同年四月一日に至り原告を教諭に採用しているのである。

4  教育公務員の採用制度と運用の実態(選考制度)

(一) 採用制度

一般の公務員の採用は競争試験によるのが原則であるが(国家公務員法三六条一項、地方公務員法一七条三項)、教育公務員の採用は任命権者である教育委員会の教育長が行う選考によるものと法定されており(教育公務員特例法一三条)、選考とは競争試験以外の能力の実証に基づく試験であって(国家公務員法三六条一項)、選考される者の職務遂行能力の有無を一定の基準に基づいて判定することであり、必要に応じて、経歴評定・実地試験・筆記試験その他の方法を用いることができるとされている(人事院規則八一二、四四条、四五条)。従って、教員採用試験(京都府公報で「選考試験」と記載されている筆記試験、以下「採用試験」という。)が教員選考にあたって必須のものではなく、選考については、恣意的運用は許されず、能力の実証と言いうる為には、一定の合理的な基準と手続きが必要とされる。

(二) 運用の実態

(1)  講師採用後教諭採用までの期間

原告が聾学校に勤務した昭和二八年ころ、聾学校における教職員の採用は、本人の希望のほか、免許状の有無によって決定され、免許状を有しているものについては当初講師として採用された場合でも遅くとも一年後には教諭に採用されるのが通例であった。例えば、別表3番号51記載のように訴外杉若恵隆は同三〇年五月一日に講師として採用され、同三一年五月一六日には教諭に採用されている。その他、同二八年から同三七年にかけ、原告より後に聾学校に就職しながら、原告に先んじて教諭に採用された者は訴外杉若の他、別表3記載のように訴外藤井進、白崎明等の多くの例がある。

また、正式な教諭免許状を有していない者も、本人の希望により一旦採用され、免許状取得後速やかに教諭に昇格となるのが通例であった。例えば、別表3番号29記載のとおり訴外森田福蔵の場合、昭和二三年一〇月一五日に助教諭として採用され、同二九年三月二一日に免許を取得し直ちに教諭に昇格している。

以上のように原告より以前に聾学校に就職はしているが、原告に先んじて教諭に昇格した者も含めれば、多数の者が原告を飛び越えていったのである。

(2)  特別選考

昭和三七年当時、既に大学卒業直後の者については、採用試験合格者からの採用が一般化していたが、体育、音楽、書道などの実技科目を担当する者、または一定の年齢に達し、あるいは経験を積んでいる者は採用試験によらないで選考されるのが通例であった。例えば、同年度高等学校新採用者中原告を含む五〇名の例をとっても、採用試験によらないで選考された者は一五名存し、一一号給以上で採用された者五名のうち採用試験受験者は原告のみであり、七号級以上で採用された一〇名をとっても、一三号給の原告と一〇号給で採用された一名を除いて、全て採用試験によらずに採用されている。

(3)  助手

当時助手として採用されたのは、別表3記載のとおり昭和二五年五月一日採用の訴外広瀬弥一郎(以下「広瀬」という。)と原告のみであった。そして、右広瀬もまた原告同様重度聴覚障害者であり、従って、少なくともこの当時助手として採用される者には健常者は存在しなかった。

5  被告の原告に対する差別行為

(一) 原告は、前述したような職務を長年にわたって遂行してきたが、教諭に採用されたのは不当にも、聾学校に講師として採用された昭和二八年九月一日から八年七か月後の昭和三七年四月一日であった。原告は、障害のない職員が次々と教諭に採用される中で、「来年こそは自分も教諭に採用されるだろう」と期待して勤務を続けてきた。

原告は、八年余りにわたり助手ないし講師として採用されてきたが、この間、教諭の職責とされている職務そのものを遂行してきたのである。すなわち、単独で授業計画を立て、多くの校務分掌を担当するとともに、週二〇時間以上の授業を単独で担当してきたのである。

これに対し、被告は、同二九年一二月三日、原告の前記のような職務に鑑みて、原告が教諭である旨の身分証明書を交付し被告による差別ないし違法行為を覆い隠そうとした。何故なら、助手は教諭の指導に基づき授業を補助する職務に止まり、単独で授業を担当したりあるいは授業計画を立てること等は認められていないからである(学校教育法五〇条三項)。

(二) 前記(一)記載の事実にもかかわらず、被告は、合理的な理由もなく原告の教諭としての採用を故意に遅らせた。即ち、被告は遅くとも三〇年五月一日には原告を教諭に採用すべきであった。何故ならば、<1>原告の一年八か月間の講師としての職務遂行により、教諭採用に必要な判断は充分可能であったし、<2>昭和二九年四月一日以降は他の教諭と同一乃至それ以上の職務を遂行させられ、遂行していたし、<3>前述のとおり、当時講師は、希望すれば採用後一年後に教諭に採用されるのが通例であり、もしくは、実技科目を担当する者で、一定以上の年齢に達し、あるいは経験を積んでいる者については、採用試験によらないで選考されるのが通例であり、原告は、一貫して紳士服科の授業を担当していたのであるから、体育・音楽等の実技科目の教諭の選考採用方法と同様の方法によるべきであり、しかも、原告は昭和三七年に一三号給として採用されているが、一一号給以上で採用された者の中で採用試験によって採用されているのは原告のみであり、他の者は全て選考採用されているのである(七号給以上でみても採用試験受験者は原告以外には一名しかいない)から、原告も特別選考採用されるべきであったからである。

(三) 従って、被告が原告を昭和三七年四月一日まで教諭に採用しなかったのは、合理性のない処遇であるとともに、当時「助手」として採用されていたのは聴覚障害者のみであったことを合わせ考慮すると、被告が原告を遅くとも昭和三〇年五月に教諭に採用しなかったのは、原告の聴覚障害者を理由とする差別的取扱であると見ざるを得ない。しかも、昭和三七年四月一日の原告が教諭とされた前後において、原告の職務内容には何等の変化もなかったことは、被告の原告に対するそれ以前の処遇が差別的取扱であったことを裏付けるものと言える。

6  被告による学校教育法違反の事実

(一) 被告は原告を昭和三〇年五月一日から昭和三七年三月末日まで助手として職務を遂行させた。しかし、現実に原告が遂行した職務は助手としてのそれに止まるものではなく、明らかに教諭の職責とされるものであった。

即ち、原告は前述してきたように、<1>別紙1記載のような週二〇時間以上の授業を単独で担当し、<2>自己及び他の非常勤講師の授業計画を立て、<3>多くの校務分掌を担当していた。

(二) そして、同法五〇条三項によれば、助手は教諭の指導に基づき教諭を補助する職務権限しか与えられていない。

従って、被告自らが昭和二九年一二月三日付けの資格証明書によって認めているように、遅くとも昭和三〇年五月一日以降、原告が教諭であることを前提にしない限り、被告は同法違反の学校運営をしてきたことになる。

7  被告の責任

(一) 憲法一四条は全ての国政の基本としての法の下の平等を規定し、これを受けて地方公務員法一三条は地方公務員について平等取扱いの原則を規定している。従って教員採用時においても、差別的採用が許されないのは当然であり、同法一五条は以上の原則を受けて「職員の任用はこの法律の定めるところにより、受験成績、勤務成績、その他の能力に基づいて行わなければならない。」と定め、恣意的な採用を禁止している。かかる採用に対しては罰則規定が置かれている。

(二) 即ち、聴覚障害者は同等の職務能力を有する限り雇用者(被告府)から健常者に比し不当に不利益な差別待遇を受けない法律上の利益を有することを意味する。ところが、前述のとおり、被告は昭和三〇年五月一日から同三七年三月末日に至るまで約七年間にわたり合理的な理由なく原告を教諭に採用することを不当にも拒み続けたため、原告に経済的不利益はもとより想像を絶する苦悩を強いてきた。そして、被告は、同三七年四月一日に至りようやく原告を教諭に採用したものの、その後、原告がそれまで助手であったことからくる給料等における不利益を是正しようとはしなかった。しかも、被告は、昭和五八年三月末日をもって原告が聾学校を退職し、同四月一日以降の共済組合退職年金を申請するにあたり、被告による昭和三七年四月以前における原告に対する差別的取扱を是正しないままで地方公務員共済組合に提出する原告の履歴書に確認証明をしたのである。その結果原告は、共済年金より一定額の控除をされたのであるから、共済年金の一定額控除による損害は被告の責に帰すべき損害と言わねばならない。

これは、被告が原告に対し、聴覚障害者であることのみを唯一の理由として、故意に憲法一四条一項、地方公務員法一三条の規定に違反した不法かつ、違法な差別を行なったものであり、これにより原告の前記法律上の利益を侵害したものである。

(三) 他方、被告が原告に昭和三〇年五月一日から同三七年三月一日までの約七年間、助手の職務権限を超える職務を遂行させたことは、学校教育法五〇条三項の規定に違反する違法な行為であることも明らかである。

(四) 従って、右被告の行為は原告に対する不法行為に該当する。そして、右不法行為は被告の府知事及び任命権者らがその公権力を行使するに当たり故意に原告に対し、教諭としての採用差別という不利益取扱を行った結果、原告に対し後記の損害を与えたものであるから、被告は国家賠償法一条により原告に対し後記損害を賠償する責任がある。

8  原告の損害

(一) 控除による損害 一〇九万六〇六六円

前記のように原告に対する被告の違法行為及びその継続の結果、原告は昭和五八年四月一日以降受けるべき共済年金から違法不当な控除をされることとなった。即ち、昭和三七年三月三一日まで原告の身分が助手であったため、原告は一旦組合員資格が終了したものとみなされ、退職一時金が支給された。そして、原告は、昭和五八年四月一日から同六一年三月三一日まで、地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法第一二条一項二号に基づき、毎年右一時金に対応するものとして共済年金より一定額が控除されたのである。従って、前記のような違法行為及びその継続がなければ、昭和三七年四月一日において組合員資格の中断という扱いを受けることはなかったし、退職後共済年金より一定額の控除を受けるという扱いを受けることもなかったのであり、その控除による損害は前記のとおり合計一〇九万六〇六六円となる。

(二) 慰謝料 一〇〇万円

(1)  原告は昭和二八年九月一日に聾学校に就職して以来、同五八年三月三一日に至るまで三〇年近く聴覚障害児者の教育に誠心誠意取り組んできた。昭和二九年四月一日からは講師という身分にもかかわらず連日勤務し、別表1記載のように週二〇時間以上の授業を単独で担当させられるとともに上司の求めにより他の講師の授業計画を立てる等他の教諭と同等ないしそれ以上の職責を課せられてきたのである。それにもかかわらず、被告は原告を昭和三〇年五月一日に至り、降格人事とも言える助手という身分に切り換えたのである。

これに対し原告は、原告よりも後に採用された者までもが原告を飛び越えて次々と教諭に採用されていくのを目の前にして、想像を絶する屈辱の中で日々の職務を遂行するとともに、当時の聾学校校長に原告自身を一日も早く教諭に採用するよう繰り返し申入れた。そして、「来年こそ私も教諭になれるだろう。」という期待をもちながら、毎年のようにその当然の期待が踏みにじられ続けたのである。

こうした中で、被告が原告を昭和三七年四月一日に教諭に採用したのも、原告と同様に聴覚障害をもつ広瀬が退職したためにほかならないのであり、被告による差別的取扱は最後まで是正されることはなかったのである。

原告は、被告によるこうした差別的処遇に対し、同五八年三月末日まで引き続き聾学校に奉職していたため、被告に対し慰謝料の請求はおろか抗議を申し入れることすらはばからざるを得なかったのである。そして、原告は同年四月以後退職したことにより、被告及び職場における上司に遠慮することなく正当な権利行使が可能となったのである。

(2)  以上のような被告の原告に対する差別的取扱による原告の現在までの精神的苦痛を金銭に見積もるならば、少なくとも一〇〇万円は下らない。

9  よって、原告は被告に対し国家賠償法による損害賠償請求として金二〇九万六〇六六円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一〇月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求めるために本訴に及ぶ次第である。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は全て認める。

2(一)  同2(一)の事実のうち原告が大正一二年出生し、京都府立医科大学予科に入学した後同校を中途退学したこと、昭和二二年四月聾学校研究科一年に入学し翌年三月同科修了後退学したこと、その後夜間旧制立命館専門学校に通い、同二八年三月同大学を卒業したことは認め、その余の主張は不知。

(二)  同2(二)前段の事実のうち、「原告は昭和二八年三月二一日」から「赴任し」まで及び同校同部の紳士服科(職業科)の講師となったことは認め、「引き続き翌年四月一日より」は不知、その余は争う。

同2(二)後段の事実のうち、原告が高等部の紳士服科(家庭技芸科)の一部をも担当するようになったことは認めるが、その年月は不知。

資格証明書については、同二九年六月三日教育職員免許法が改正され(昭和二九年法律第一五八号、施行日は六か月後の同年一二月三日)、従前の仮免許制度は廃止され新たに普通免許状(一級、二級)臨時免許状制度に切り換えられたために、従前の仮免許状のみを有してきた教諭や講師は改正法付則第二項に規定する一定の期間において普通免許状ないし臨時免許状を取得しなければその期間経過後は教壇に立てなくなった(例えば聾学校教諭仮免許状のみを有する者については昭和三五年三月三一日までに取得しなければならなかった)ので、その際に教諭や講師に対して交付されたのが本件資格証明書であり、原告の場合これによって聾学校教諭としての資格ではなく、聾学校講師としての資格を証明されたに過ぎない。

(三)  同2(三)の事実のうち、被告は、昭和三〇年五月一日に原告を助手として採用したこと、同三七年四月一日に至ってようやく原告を教諭に採用したことは認めるが、その余は不知。

(四)  同2(四)の事実は認める。

(五)  同2(五)の事実のうち、本来原告が受けるべき年金額が二三二万六六九七円であるとの主張は争い、却下とあるのは棄却であるが、その余は認める。

3(一)  同3(一)の事実は認める。

(二)  同3(二)前段の事実のうち、原告が、昭和二八年九月一日から翌年三月末日まで講師として同校中学部の国語及び社会科の授業を担当して出勤していたこと、同部の紳士服科の授業を週二〇時間以上担当するようになったこと、中学部ほか高等部の紳士服科の授業を担当するようになったこと、同三〇年五月一日助手として採用されたうえで中学部、高等部の紳士服科の授業を担当したことは認めるが、その余は不知。

(三)  同3(三)の事実のうち、「その後も同表記載のとおり」から「校務を分掌させられ、遂行した。」まで及び聾学校の中・高等部の多くの生徒は口話、手話通訳併用によらなければ意思疎通が困難であったにもかかわらず、当時、教職員の多くは手話が使えなかったこと、従って、大半の教職員は生徒との意思疎通を充分はかることはできなかったこと、そこで手話通訳に長けていた原告がこれら教職員の求めに応じ生徒との意思疎通を図るうえで欠かせない役割を果たしていたことは認めるが、その余は不知。

(四)  同3(四)の事実のうち、「原告に前述したような職務を単独で遂行させ、ようやく」とある点は不知、その余は認める。

4(一)  同4(一)の事実は不知。

(二)(1)  同4(二)(1) 第一段の事実のうち、原告が聾学校に勤務した昭和二八年頃聾学校における教職員の採用は本人の希望のほか免許状の有無によって決定されたこと、教諭免許を有している者については当初講師として採用された場合でも遅くとも一年後には教諭に採用されるのが通例であったとの主張は争う。しかし、訴外杉若恵隆は同三〇年五月一日に講師として採用されていること、その他同二八年から同三七年にかけ、原告より後に聾学校に就職しながら、原告に先んじて教諭に採用された者は右の杉若の他、別表3記載のように訴外藤井進、白崎明の例があることは認めるが、多くの例があるとの主張は不知。

同4(二)(1) 第二段の事実のうち、正式な教諭免許状を有していない者も本人の希望により助教諭に一旦採用され、免許状取得後速やかに教諭に昇格となるのが通例であったとの主張は争う。訴外森田福蔵の場合、同二三年一〇月一五日に助教諭として採用され同二九年三月二一日に免許を取得し直ちに教諭に昇格していることは認める。

同4(二)(1) 第三段の事実は不知。

(2) 同4(二)(2) の事実のうち、「例えば」以下は認め、その余は不知。

(3) 同4(二)(3) の事実のうち、重度かどうかは不知、その余は認める。

5(一)  同5(一)第一段の事実のうち、「教諭に採用されたのは、聾学校に講師として採用された昭和二八年九月一日から八年七か月後である昭和三七年四月一日であった」ことは認め、「不当にも」との主張は争い、その余は不知。

同5(一)第二段の事実のうち、「原告は八年余りにわたり助手ないし講師として採用されてきたが」及び「校務分掌を担当するとともに」は認め、その余は不知。

同5(一)第三段の事実のうち、「何故なら」以下は認め、その余は争う。

(二)  同5(二)の事実のうち、「前記(一)記載の事実にもかかわらず、」から「採用すべきであった」までの主張は争い、「何故ならば以下<1><2>」は不知、<3>については争う。

京都府立学校教員(昭和二九年以降は採用(選考試験)に合格した者から採用することになっている。)の教員(教諭)たる身分は採用されて始めて生ずる。従って、原告が府立学校の教諭の身分を取得したのは教諭の資格を有した時点からではなく、原告が採用試験に合格し、教諭として採用されうる地位を取得し有資格者となった後、同年三月二二日付聾学校教諭任用内申書(学校長より教育委員会宛)、原告の四月一日付採用願(原告から教育委員会宛)並びに実習助手たる原告の三月三一日付教諭採用のための退職願(辞表)が承認され、府立学校教員に採用せられ教諭に補せられた昭和三七年四月一日であることは明らかである。

そして、教員の採用は公法上の任命行為であり、任命をなすかどうかは当該行政庁の専権に属するものであるから任命行為を命ずる裁判や任命するべきであったとの裁判を求めることは現行法制上許されないものと解すべきである。

なお、昭和三七年度の教員採用試験は教員普通免許状を有することを受験資格としており、原告は昭和二八年三月二一日に英語及び国語の高等学校教諭二級普通免許状を授与されているものであるから、原告の受験資格が英語及び国語であり、昭和三七年度に国語・英語に関して採用試験によらないで選考された者は、他府県の採用選考試験に合格した者一名と現職教諭であった者二名であり、原告をこれらの者と同列に論じることはできない。他方原告は実技科目たる紳士服科の属する家庭科の普通免許状を所持していないのであるから、採用試験によるよらないに拘らず原告の教諭採用は問題にならない。免許状のない者でも採用すべきであるとの原告の主張自体が独自の見解であって首肯しがたいところである。

(三)  同5(三)の事実のうち、「しかも」以下は不知、その余は争う。

6(一)  同6(一)の事実のうち、「被告は原告を」から「遂行させた」までは認めるが、「しかし」以下は<3>を認める他は不知。

(二)  同6(二)の事実のうち、「同法」から「与えられていない。」までは認め、その余は争う。

なお、原告が助手として在職中の学校教育法は昭和四九年六月一日に改正されている。

7  同7はいずれも争う。

8(一)  同8(一)の事実のうち、「違法」とか「違法不当な」、「不当にも」は争い、その余は認める。

(二)(1)  同8(二)(1) の事実のうち、第一段については、「原告は昭和二八年九月一日に」以下「身分にもかかわらず勤務し」まで及び「被告は原告を昭和三〇年」以下「身分に切り換えたのである。」までは、次の不知を除き認め、「誠心誠意」とか「連日」とかの表現や「別表1記載のように」以下「職責を課せられてきたのである。」まで及び「降格人事とも言える」は不知、第二段については不知、第三段については、「こうした中で」以下「ほかならないのであり」までは認め、「被告による差別的取扱は最後まで是正されることはなかったのである」は争い、第四段については、「原告は、被告による」以下「可能となったのである」までは不知。

(2) 同8(二)(2) は争う。

9  同9は争う。

10  別表1は不知。別表2のうち、昭和二九年度、及び三〇年度は不知で、その余は認める。別表3については、本庄てるが奈良ろう学校より転任してきたこと、内海次郎が府教委採用試験を受けたこと、松田増蔵が教組より転任してきたこと、杉若恵隆が昭和二九年大学在学中に田辺中で府教委採用試験を受験したこと、藤本章子が分校より転任してきたことは不知、田辺恵美子が同三四年四月一日に聾学校へ転任してきたことは争い、その余は認める。

三  仮定抗弁(消滅時効)

仮に、国家賠償法に基づき、被告に対する損害賠償請求権が原告にあったとしても、次に述べるとおり、原告の右損害賠償請求権は、時効により消滅したものである。

1  民法七二四条前段の短期消滅時効

同条前段の「損害及び加害者を知りたるとき」とは、被害者が加害行為の違法性を知るならば、その違法行為が通常損害を伴うものである限りにおいて当該被害者は損害を知ったことになることを意味しており、被害者が損害の程度や数額を具体的に知ることまでも要しないのである。

本件訴の対象とされるべき不法行為は、原告がいう差別的取扱で七年間教諭に採用されなかったことに帰する。従って、原告は、遅くとも教諭採用時点である昭和三七年四月一日において、それまでの「助手という身分に据え置かれた」状態を作り出した被告の行為の違法性を知っていたか少なくとも知り得たのであり、そのことによって教諭採用後も、助手であった前歴を踏まえて給与が退職時まで支払われていくこと、また、将来年金受領の際退職一時金控除を受けて行くことも充分知っていたことになるので、短期消滅時効は昭和三七年四月一日から進行し、昭和四〇年四月一日の経過により完成したものと言わねばならない。

被告は本件訴訟において(同六二年三月一二日)、右消滅時効を援用した。

2  民法七二四条後段の長期消滅時効

同条後段の「不法行為の時」とは、加害行為及びそれによる損害が発生した時のことを意味するものであり、長期消滅時効についても、被告の違法行為の止んだ日の翌日即ち昭和三七年四月一日から進行し、昭和五七年四月一日の経過により長期消滅時効は完成したものというべきである。

被告は本件訴訟において(同六二年四月三〇日)、右消滅時効を援用した。

四  仮定抗弁に対する認否及び反論

1  民法七二四条前段の短期消滅時効

(一) 同条前段は、短期消滅時効の要件として、被害者が「損害及び加害者を知りたる時より」三年間を経過することと規定している。

本件において原告に対する損害は、遅くとも昭和三〇年四月一日から昭和五八年七月一一日までの間発生してきたものである。即ち、被告は原告を不当にも聴覚障害を理由に七年間にわたり教諭に採用しなかった。しかも、被告は昭和三七年四月一日付けをもって原告を教諭に採用したものの原告が退職するまで原告が七年間助手という身分に据え置かれたことによる賃金を始めとする諸々の不利益を是正しようとはしなかったのである。他方、原告は昭和五八年七月一一日地方公務員等共済組合から退職金の一時金控除という決定を受けることにより、年金上の損害と精神的苦痛を強いられることとなった。これもまた、被告の原告に対する前記加害行為及び被告が前記差別的取扱を前提とした履歴書の確認証明という行為によって発生した損害である。従って、被告の加害行為による原告の損害は昭和三〇年五月一日から同五八年三月末日まで日々発生し、更に同年七月一一日退職年金の一時金控除という決定によって初めて損害全体が確定したのであり、かかる損害全体の確定によって初めて被害者たる原告が「損害を知りたる時」といえるのである。

(二) 以上の事実から明らかなように、原告の損害は昭和五八年七月一一日に至り初めて確定したのであるから、原告が損害を知ったのは一時金控除決定の通知を受けた同月一四日であり、同条による短期消滅時効は早くとも昭和五八年七月一四日から三年経過した昭和六一年七月一五日でなければ完成しないのである。

2  民法七二四条後段の長期消滅時効

同条後段は、「不法行為の時より」二〇年間経過した時にも損害賠償請求権が消滅すると規定している。

ここにいう「不法行為の時」とは加害行為及びそれによる損害が発生した時であり、本件において被告の加害行為は、前述のとおり、原告を昭和三七年三月末日まで助手という身分に据え置くという差別的取扱と、同年四月一日から同五八年三月末日まで原告が七年間にわたり不当に助手という身分に据え置かれたことからくる給与等の不利益を是正しないという行為であり、それらが長期間継続していたものである。そして、原告の損害もまた、昭和五八年三月末日まで日々発生し、更には同年七月一一日の一時金控除という共済組合による年金決定によって全体が初めて確定したのであるから、長期消滅時効の起算点は、昭和五八年七月一一日以降であるから、同日から二〇年間経過しなければ時効による債務消滅は主張し得ないのである。

五  仮定抗弁に対する再抗弁(法律上の障碍)

仮に加害行為及びそれによる損害が発生しているとしても、民法一六六条一項は消滅時効の要件として「権利を行使することを得る時より」時効が進行を開始すると規定しているので、被害者が損害賠償請求権を行使することができない事情がある場合には、消滅時効は進行しない。

本件において、原告は昭和三〇年五月一日から同三七年三月末日までの被告による差別的取扱に対し、同年四月一日以後退職時まで、慰謝料等の損害賠償請求権を行使することは到底できなかった。何故なら、原告は七年間にわたって聴覚障害故に非人道的、屈辱的な差別を受けていたため、同三七年四月一日以後教諭に採用された段階で再び被告による差別的取扱を恐れ、あるいは自己の地位を失うことを慮って到底被告に対する裁判等というものは考えられなかったからである。そして、退職後に至りようやく被告に対し聴覚障害者への差別的取扱の反省を求め、原告の退職年金を通じての苦痛を慰謝するため本件提訴に踏み切ることができたのである。

従って、民法一六六条の定める要件からしても、昭和五八年四月一日前に原告の被告に対する損害賠償請求権の消滅時効が進行することはなく、当然消滅時効の完成もあり得ないのである。

六  再抗弁に対する認否及び被告の主張

民法一六六条にいう「権利を行使することを得る時」とは法律上の障碍を受けることなく権利者がその権利を主張、行使し得る時である。法律上の障碍とは、権利そのものの性質上権利に内在する障碍のことを指し、権利者の不在や疾病、心理状態などはこれにあたらないものである。

従って、原告は「再び被告による差別的取扱を恐れ、あるいは、自己の地位を失うことを慮って到底被告に対する裁判等というのは考えられなかった」というのは原告の全くの個人的な考えに過ぎず、このような事情が法律上の障碍にあたらないのは明らかである。

従って、民法一六六条の点からみても原告の損害賠償(国家賠償法上の権利)請求権の消滅時効の起算点は昭和三七年四月一日と解すべきである。

第三証拠<省略>

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求原因1の各事実、同2(一)の事実中、原告が大正一二年出生し、京都府立医科大学予科に入学して同校を中途退学したこと、昭和二二年四月聾学校研究科一年に入学し翌年三月同科修了後退学したこと、その後夜間旧制立命館専門学校に通い、同二八年三月同大学を卒業したこと、同2(二)前段の事実中、原告は、昭和二八年三月二一日、中学校教諭一級及び高等学校教諭二級の教員免許をそれぞれ取得し、同年九月一日より聾学校中学部、国語及び社会科の講師として赴任し、その後同校同部の紳士服科(職業科)の講師となったこと、同2(二)後段の事実中、原告は高等部の紳士服科(家庭技芸科)の一部をも担当するようになったこと、同2(三)の事実中、被告は、昭和三〇年五月一日に原告を助手として採用したこと、同三七年四月一日に至ってようやく原告を教諭に採用したこと、同2(四)の事実、同2(五)の事実中、原告は、昭和五八年四月以降の共済年金の受給申請を行い、同年七月一一日年金支給決定を受けたこと、その年金額は、年額で一九六万九六〇〇円であり、原告が昭和三七年三月末まで助手であったために、当時の地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法一二条一項二号に基づき、一定額が控除された後の年金額であったこと、原告は右決定を不服として、同五八年八月三一日、公立学校共済組合審査会に対し、異議申立を行ったが、右審査会は同六〇年六月一二日右申立を棄却したこと、右控除は昭和六〇年に右控除規定が削除され、同六一年四月一日に施行されるまで続き、その控除額は、昭和五八年四月一日から同五九年三月三一日まで三五万七〇九七円、同年四月一日から同六〇年三月三一日まで三六万三七九三円、同年四月一日から同六一年三月三一日まで三七万五一七六円の合計一〇九万六〇六六円であったこと、同3(一)、(二)の事実中、原告が昭和二八年九月一日から翌年三月末日まで講師として同校中学部の国語及び社会科の授業を担当して出勤していたこと、原告が同部の紳士服科の授業を週二〇時間以上担当するようになったこと、原告は同年五月一日には助手として採用されたうえで同校中学部、高等部の紳士服科の授業を担当したこと、同3(三)の事実中、昭和三〇年度は図書部の係を担当し、同三一年度以後も別表2記載のとおり、指導部職業係、中学部補導係、庶務部渉外係、進路指導など多くの校務を分掌させられ、遂行したこと、聾学校の中・高等部の多くの生徒は口話、手話通訳併用によらなければ意思疎通が困難であったにもかかわらず、当時、教職員の多くは手話が使えなかったこと、従って、大半の教職員は生徒との意思疎通を充分はかることはできなかったこと、そこで手話通訳に長けていた原告がこれら教職員の求めに応じ生徒との意思疎通を図るうえで欠かせない役割を果たしていたこと、同4(二)(1) 第一段の事実中、例えば別表3記載のように訴外杉若恵隆は昭和三〇年五月一日に講師として採用されていること、その他昭和二八年から同三七年にかけ、原告より後に聾学校に就職しながら、原告に先んじて教諭に採用された者は右杉若の他、別表3記載のように訴外藤井進、白崎明の例があること、同4(二)(1) 第二段の事実中、例えば別表3記載のとおり訴外森田福蔵の場合、昭和二三年一〇月一五日に助教諭として採用され同二九年三月二一日に免許を取得し直ちに教諭に昇格していること、同4(二)(2) の事実中、例えば、昭和三七年度高等学校新採用者中原告を含む五〇名の例をとっても、採用試験によらないで選考された者は一五名存し、一一号給以上で採用された者五名のうち採用試験受験者は原告のみであり、七号級以上で採用された一〇名をとっても、一三号給の原告と一〇号給で採用された一名を除いて、全て採用試験によらずに採用されていること、同4(二)(3) の事実中、当時助手として採用されたのは、別表3記載のとおり昭和二五年五月一日採用の訴外広瀬弥一郎と原告のみであたこと、右広瀬もまた原告同様聴覚障害者であり、従って、少なくともこの当時助手として採用される者には健常者は存在しなかったこと、同5(一)第一段の事実のうち、教諭に採用されたのは、聾学校に講師として採用された昭和二八年九月一日から八年七か月後である昭和三七年四月一日であったこと、同5(一)第二段の事実中、原告は八年余りにわたり助手ないし講師として採用されてきたこと及び校務分掌を担当したこと、同5(一)第三段の事実中、助手は教諭の指導に基づき授業を補助する職務に止まり、単独で授業を担当したりあるいは授業計画を立てること等は認められていないこと、同6(二)の事実中、同法五〇条三項によれば、助手は教諭の指導に基づき教諭を補助する職務権限しか与えられていないこと、同8(一)の事実中、前記のように被告が原告を助手として採用したこと及びその継続の結果、原告は昭和五八年四月一日以降受けるべき共済年金から控除をされることとなったこと、昭和三七年三月三一日まで原告の身分が助手であったため、原告は一旦組合員資格が終了したものとみなされ、退職一時金が支給されたこと、原告は、昭和五八年四月一日から同六一年三月三一日まで地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法第一二条一項二号に基づき、毎年右一時金に対応するものとして共済年金より一定額が控除されたこと、従って、前記のような被告の原告に対する助手採用行為及びその継続がなければ、昭和三七年四月一日において組合員資格の中断という扱いを受けることはなかったし、退職後共済年金より一定額の控除を受けるという扱いを受けることもなかったのであり、その控除による差額は前記のとおり合計一〇九万六〇六六円となること、同8(二)(1) 第一段の事実中、原告は昭和二八年九月一日に聾学校に就職して以来、同五八年三月三一日に至るまで三〇年近く聴覚障害児者の教育に取り組んできたこと、昭和二九年四月一日からは講師という身分にもかかわらず勤務したこと、被告は原告を昭和三〇年五月一日に至り、助手という身分に切り換えたこと、第三段の事実中、被告が原告を昭和三七年四月一日に教諭に採用したのも、原告と同様に聴覚障害をもつ広瀬が退職したためにほかならないこと、別表2の事実中、原告が、昭和三一、三二年度に指導部職業科、同三三年度に中学部補導係、同三四年度に庶務部渉外係・中学部補導係、同三五年度に中学部補導係、同三六年度に進路指導の各校務分掌を担当したこと、別表3の事件中、番号10、12、35、52の聾学校就職前の所属、同25の特記事項、同51の特記事項のうち府教委採用試験を受けた事実を除く各事実、以上の各事実について当事者間に争いがない。

二  証拠によれば、次の事実が認められ(当事者間に争いのない前記事実を含む。)、右認定を左右するに足る証拠はない。

1  事実の経過

(一)  原告は昭和二八年九月一日、先輩教師らの推薦により、病欠教師の代替職員として聾学校に就職したが、その際、当時の聾学校校長の訴外中潔(以下「中校長」という。)からは、原告が聴覚障害者なので正規の教師ではなく、しばらく講師で辛抱してくれと言われ、特に試験・面接などはなく、聾学校講師として採用され、同日から翌年三月末日まで同校中学部の国語及び社会科の授業を週一〇時間担当した。そして、原告は、同二九年四月一日には紳士服科の講師をするため中学校家庭科臨時免許を付与され、同日から同校同部の紳士服科の授業を週二〇時間以上担当し、このころから、教諭になりたい旨中校長に要望していた。

なお、昭和二九年六月三日の教育職員免許法の改正にともない、従前の仮免許制度が廃止され新たに普通免許状(一級、二級)臨時免許状制度に切り換えられたため、従前の仮免許状のみを有していた原告は、昭和三五年三月三一日までに普通免許状ないし臨時免許状を取得しなければその期間経過後は教壇に立てなくなったので、同二九年一二月三日府教委は、原告に聾学校教諭(講師を含む)資格証明書を発行し、原告が当時遂行していた講師として職務を継続できるための措置をとった。

(二)  原告は、同三〇年四月一日からは高等部紳士服科の一部をも担当するようになったが、中校長からは助手の席があくまで講師で辛抱してくれと言われていた。そして、同年五月一日、聴覚障害者の広瀬が助手から助教諭に昇格したのにともない、原告が助手として採用されることになった。なお、右広瀬は昭和二五年に紳士服科の講師として採用され、同二七年に助手となり、原告が助手になった同三〇年五月に助教諭に採用されている。

原告は、普通なら教諭として採用されるはずなので、不満を持っていたところ、中校長からは、できるだけ努力するが、聴覚障害者なので助手で辛抱してくれと説得された。結局、原告はその後同三七年三月三一日まで約七年間、同身分で中学部及び高等部の紳士服科の授業を中心に単独で授業を週二〇時間から二八時間担当したほか、多くの校務を分掌させられ、遂行した。

この間、校務分掌の受持ちは講師時代とまったく同じであり、助手は単独で授業を出来ないはずであるにも拘わらず、単独で授業を担当していた。なお、助手は正職員なので、給料は講師時代と比較して昇給することとなった。

(三)  原告は、昭和三一年から同三三年にかけて教諭にして欲しい旨願い出ていたが、校長・副教頭は、少し待つようにと繰り返すのみであった。

なお、原告は、同三〇年前後ころ聾学校で教諭になった五名(いずれも健常者)が全員採用試験を受けずに採用されていたことから、自分も採用試験によらずに採用されるものと期待していた。

その後、原告は、同三三年に当時の吉村校長の指示により初めて採用試験を受験したのであるが、右のように指示されるまで、採用試験を受ける必要のあることを聞いたことがなく、以後同三六年まで四回受験したものの、同三五年度の際に一度合格通知が送られて来ただけで採用はされず、その他の年は通知も発表もなく放置され、結果を知るすべはなかった。

(四)  この間、原告が教諭と同じ内容の職務に従事させられながら、助手の身分のまま据え置かれていることの不合理性について、昭和三四年一二月ころから京都教職員組合聾学校分会の分会ニュースに「不思議な物語」として報告されるようになり、同三五年六月ころには聾学校分会の役員が京都府教育委員会と交渉したが、同年及び翌年の交渉の際に府教育委員会からは原告が採用試験に合格していないから教諭になれない旨の説明はなく、翌三六年四月一日になって、原告に対し、非常勤講師に兼務させる旨の辞令を発するにとどまった。その理由について、原告は、吉村校長から、府教委の指導であるが、助手のままでは単独授業ができず、法に触れるからである、しかし講師の給料は出せない旨の説明を受けた。

(五)  昭和三七年四月になって、前記広瀬助教諭が一身上の都合で退職し、原告がその穴を埋める形で教諭に採用された。

原告は、教諭になっても、七年間助手のままであったことによる給与較差累積の不利益は是正されなかったことについて不満はあったが、採用され差別を脱した喜びが大きく、同僚支援者に対する感謝の念で満たされていたこともあって、その際に不利益の回復を求めることはなかった。

原告は、同三七年四月以降、二一年間同校の紳士服科(一〇年間)あるいは染色料、国語、英語の担当教諭として勤めた後、同五八年三月三一日をもって退職した。

(六)  右退職に先立ち、昭和五七年一二月に原告が府教委へ年金の相談に行ったところ、八年半の助手と講師の期間があるので、通常支給される年金から終生月額三万円を差し引かれる、との説明であった。

原告は、同五八年四月以降の共済年金の受給申請を行い、同年七月一一日年金支給決定を受けた。その年金額は、原告が同三七年三月末日まで助手であったために、当時の地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法一二条一項二号に基づき、助手の期間がなければ原告が本来受けるべき年金年額二三二万六六九七円から一定額を控除したもので、右措置は同六〇年に右控除規定が削除されて同六一年四月一日に施行されるまで続いた。その控除額は、昭和五八年四月一日から同五九年三月三一日まで三五万七〇九七円、同年四月一日から同六〇年三月三一日まで三六万三七九三円、同年四月一日から同六一年三月三一日まで三七万五一七六円の合計一〇九万六〇六六円である。

原告は、右決定を不服として、同五八年八月三一日、公立学校共済組合審査会に対し、意議申立を行った。同五九年二月二九日に教育課の企画課長から履歴書の修正はできない旨の説明があったが、納得できない原告は、事実を調べ、証拠資料を集め、一年間後に府教委へ提出し、再考を求めたものの、何らの回答もなく、右審査会に対する不服申立ても同六〇年六月一二日に棄却された。

2  原告の職務実態

(一)  授業時間、校務分掌については、別表1及び2記載のとおりであり、担当授業時間数については、昭和三〇年から同三六年までの間週二〇時間ないし二八時間であり、職業科の教員が二一ないし二三時間程度、普通科の教員が一八ないし二〇時間程度であったことと比べても明らかに時間数は多かったし、校務分掌も他の教員との差はなく、授業計画も独自に行っていた。

(二)  更に、指導部・補導部・庶務部では障害生徒とのコミュニケーションを図る重要な役割を果たしていた。例えば、昭和三四年ころには、夜間寮に赴き、手話等による生徒との通訳をしたり、また、性教育問題で通訳及び相談相手になるなどしていた。他の教師のホームルームの際に、生徒の悩みを通訳し、原告自身の意見も入れて説得するなどもしていた。

(三)  また、原告の授業は健常者より劣るということはなく、むしろきめ細かい指導、授業が出来ていた。

健常者との日常の会話も原告が補聴器を使い、相手が大きな声を出せば原告には聞こえ、原告の話す言葉を相手は全て聞き取れたので、ほとんど支障はなかった。ただ、教員会議の際には、他の先生に通訳してもらっていたが、会議には参加していた。

3  教育公務員採用制度

(一)  教育職員免許法は免許状主義を採っており、教諭となるには免許状の所持が必要だが、更に、教諭として採用されるには更に、任用・任命という行政行為が介在することになる。

(二)  一般の公務員の採用は競争試験によるのが原則であるが(国家公務員法三六条一項、地方公務員法一七条三項)、教育公務員の採用は任命権者である教育委員会の教育長が行う選考によるものと法定されており(教育公務員特例法一三条)、選考とは競争試験以外の能力の実証に基づく試験であり(国家公務員法三六条一項)、選考される者の職務遂行能力の有無を一定の基準に基づいて判定することであり、必要に応じて、経歴評定・実地試験・筆記試験その他の方法を用いることができるとされている(人事院規則八-一二、四四条、四五条)。したがって、採用試験が教員選考にあたって必須のものではない。

なお、昭和三一年に教育委員会法が廃止され、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)が制定されたことにより、昭和三一年以前は、市町村・都道府県の教育委員会の教育長が選考権者であり、右教育長の推薦に基づいて教育委員会が任命する形になっていたが、同年以後は、都道府県の教育長が選考し、教育委員会に任命権限があることになる。

(三)  即ち、一般公務員の採用が、競争試験により、筆記試験の学力の高位の者から順に合格者を決めていくのと異なり、教育公務員の採用は、学力はもちろん、人物、健康等様々な要素を総合的に勘案して決めていくという選考という方法に限っているのである。

そして、採用試験については、地教行法成立前は、採用志願者名簿を作っていたので、学力試験をやる場合もあれば、面接試験で済ます場合もあったが、地教行法成立後は、採用志願者名簿がなくなったため、今度は採用試験を行い、その合格者を採用候補者名簿というような形で運用するのが一般となった。但し、昭和三一年以後も、特別選考という教育長の選考権はあり、学校の実情に合わせて柔軟に教育行政が運用できるように、特別選考の方法が設けられていたので、採用試験に不合格であっても、任命することができることになる。

この特別選考の際には、技術科目については、特定の大学でないと資格がとれないという意味で、普通科目に比べて特別選考による形が多くなるなどの違いが生ずる可能性はある。

4  教員採用の実態

(一)  訴外杉若恵隆は、高校・中学の国語科の教員免許を所持していたが、昭和二九年大学在学中に昭和三〇年度の府教委採用試験を受け、この際に紹介状をもらい、同三〇年五月に聾学校非常勤講師(小学部図画工作)となり、一年間講師を続けた後、同三一年度の採用試験を受けずに、講師時代の努力、成績が認められた形で同年四月に小学校教諭に採用され、同年五月小学校教諭に任命された。

訴外白崎明は、昭和二七年に中学・高校教諭二級免許状(図画工作)を取得し、同二九年就職依頼があり、翌三〇年府教委の人と面接したところ、同三一年三月聾学校校長吉村から依頼があって、四月から聾学校に勤務することとなり、筆記試験等全くないまま、同年六月に教諭の辞令を受けた。

(二)  以上のように、京都府においても、教員採用試験が昭和二九年から始まったが、同年以降も採用試験を受けずに教員になった者がいる。

そして、健常者の場合、右杉若を始めとして、聾学校において当時講師で採用された者は、そのほとんどが半年から一年で教諭に採用されており、また、実技科目担当者で、一定以上の年齢、あるいは経験者については、採用試験によらないで選考されることが多く、逆に、昭和二八年から三七年頃までの間に、採用試験を受けて採用された教諭自体が少なかったのであり、当時、文部省の通達でも必ず採用試験が必要という拘束力はなく、人格、指導力、学識で採用してもいいという通達があったという実情が窺われる。

(三)  昭和三七年度高等学校新採用者中原告を含む五〇名の例をとっても、採用試験によらないで選考された者は一五名存し、一一号給以上で採用された者五名のうち採用試験受験者は原告のみであり、七号級以上で採用された一〇名をとっても、一三号給の原告と一〇号給で採用された一名を除いて、全て採用試験によらずに採用されている。

(四)  当時助手として採用されたのは、別表3記載のとおり昭和二五年五月一日採用の訴外広瀬弥一郎と原告のみであった。そして、広瀬もまた原告同様聴覚障害者であり、従って、少なくともこの当時助手として採用される者には健常者は存在しなかった。

なお、戦前戦後を通じて聴覚障害者が助手として扱われていた形跡が窺われる。

三  原告を助手として採用したことの不合理性について

1  助手を命ずる旨の発令があると、従前の任命行為は変更されることになると解されるところ、原告が昭和二九年一二月三日に受けた聾学校教諭(講師を含む)の資格証明書の裏面には、聾学校教諭の仮免許状がこれまで授与されていたことが表示されていて、これが仮免許状に代わり五年間は教諭の資格が与えられたことを意味するとすれば、結局、教諭の免許資格を認めながら、実際は講師として扱っていたことになるが、そうでないとしても、被告が同三〇年五月に現に講師である原告を助手にする必要性は、資格面からいって一切なかったものというほかない。

2  助手に採用となった背景

被告としては、原告を講師に据え置いたままの形でも、単独で授業を担当させるなどのその後の職務を遂行させることができたわけであり、被告を助手に任命した判断の前提には、<1>他の採用者との比較からして、講師に据え置くことはできないこと、<2>かつ、原告と同様に聴覚障害者である広瀬が助手から助教諭に昇格したことにより、助手の席が空いたこと、<3>そして、その助手の地位は、給与面では昇給となる意味で原告の利益になり、ただ、教諭の地位を与えないという中間的な立場として従来聴覚障害者に特有な地位として設定されていたという要素が大きく働いたと認められる。その結果、法律上は単独で授業を担当できない助手の地位で単独で授業を担当させるという不合理な事態が生ずることとなったのである。

四  結局、以上のように、教諭にはしないが、講師のままでいるよりは給与が高いという聴覚障害者に特有な地位の存在を利用して、原告を助手にしたと考えられるが、本質的な問題は、助手に採用したこと以前に、まず、実質的には講師のままで据え置き、教諭ないしは助教諭にしないことの不当性の有無にある。

1  前記認定のとおり、当時講師で採用された者は、そのほとんどが半年から一年で教諭に採用されており、また、実技科目担当者で、一定以上の年齢、あるいは経験者については、採用試験によらないで選考されることが多く、昭和三〇年前後ころでは、採用試験を受けずに採用された教諭が目立つのであって、原告は、講師として一年以上の経験を有し、紳士服科の授業を担当していたのであるから、助手の道を選ぶのではなく、教諭ないしは助教諭として採用されることを検討し又は指導するのが自然の成り行きであったと考えられるし、採用の方法についても、体育・音楽等の実技科目の教諭の場合と同様の採用試験によらない選考の方法によることができたはずであり、それがむしろ妥当な取扱いであったといえる。

2  ところで、被告は、原告の場合、家庭科の教員免許を所持していないので家庭科の特別選考採用も、採用試験による家庭科教諭の採用もいずれも不可能である旨論じている。

しかしながら、<証拠>によれば、原告が家庭科の教員免許を有しないまま教諭また助教諭となったうえ(特別選考により一旦家庭科の教諭となる場合を含む。)、単独で家庭科の授業を担当するため特別措置を講ずる幾通りかの方法のあることが認められ、原告の場合その方法のいずれも採り得なかったことを断定できる証拠はなく、しかも、原告の講師・助手時代を通じて、臨時免許を付与するなどして、家庭科の教員免許を有していない原告に家庭科の授業を担当させるための措置をとっていたことが認められるのであるから、教諭採用に際しては、特別措置を採り得なかったとはいえないはずである。

五  そこで、次に、被告に原告を特別選考する義務や裁量権の踰越・濫用が認められるのか問題となる。

1  まず、前提として、教員の採用については、昭和三一年以前は市町村・都道府県の教育委員会の教育長が選考し、教育長の推薦に基づき教育委員会が任命しており、昭和三一年以後は都道府県の教育長が選考することになっているが、いずれにせよ、公法上の任命行為において、採用(特別選考)するか否かは任命権者に認められた権限であって、講師には、採用を求める請求権は存せず、講師が教諭に採用されなかったからといって、直ちにその者の権利が侵害されるものではない。また採用されるために一定の資格・条件が必要とされるが、それが充足されたからといって直ちに採用されるわけではなく、採用される権利が保証されるものでもない。したがって、講師から教諭への採用を受けなかった者が、任命権者の行為を違法としてその所属する自治体に損害賠償を求めることができるのは、任命権者において何ら法的に合理的な理由もなく恣意的に社会通念上著しく採用に関する裁量権限を踰越または濫用して採用をしなかった場合に限られるのであって、この場合には任命権者の所為を違法とし、損害を受けた者は、任命権者の所属する自治体に対して損害賠償請求をなしうるものと解するのが相当である。

そこで、以下その違法性の有無につき検討する。

2  確かに、講師として採用された者が教諭に採用されるまでの期間や実技科目担当者が特別選考されるために必要な経験年数・実績等の観点のみに照らした場合、前記認定の事実によれば、昭和三〇年五月の時点で原告を教諭に特別選考採用しなければ、直ちに地方公務員法一三条所定の平等原則に反して、社会通念上著しい裁量権の踰越となるとまではいいがたい。

3  しかし、前記認定のように、<1>その後被告が同時点で原告を助手に採用し、その後約七年もの長期間にわたり助手の地位のまま、単独で授業を担当させるなどの違法行為を含めて、教諭と同様の職務を担当させていたこと、<2>助手という身分に置かれていたのは、原告を含めた聴覚障害者のみであったこと、<3>原告が助手の身分であることの不合理性が問題とされるや、被告は、講師の辞令を発するなどして、右不合理を糊塗しようとしたこと、<4>原告の聾学校における職務遂行状態を総合的に見た場合に、原告が聴覚障害者であるがゆえに、健常者に比べて聾学校教員としての職務を遂行するための能力が劣っていたとは思われず、かえって、手話ができることで、健常者よりも優れた職務遂行を可能にしていた面も認められることその他学校長の対応などを考慮すると、任命権者側は、右助手採用時点において、原告が教諭としての職務を担当させるに充分な能力を備えていたこと及び講師に据え置くことはできない旨の認識を前提にして、原告を教諭に採用せずに、助手採用という違法・差別的行為により講師に据え置くという状態を回避したと認めることができる。

そして、このように、助手という不合理な地位を利用した処遇をしたがゆえに、当時の他の健常者らと比較して原告の教諭採用が遅れることになったのである。

さらに、被告が、原告を助手に採用したこと自体が、単に、教諭採用に関する一般的平等取扱の問題とは別に、積極的な違法行為や聴覚障害者であるが故の不合理な差別行為を伴う点で、一方において、平等原則違反を基礎付ける事情、即ち、講師に据え置くべきではないという客観的状況が強固であったという意味で、聴覚障害者でなければ採用権者としては教諭ないしは助教諭に採用すべき客観的状況が存していた面が補強され、教諭に採用しなかったのが、聴覚障害者であるが故の差別的行為であることの証左となり、他方において、中校長の発言内容や結局原告が教諭に採用された時期は聴覚障害者の広瀬の退職した時点と重なることなどからみて、あたかも聴覚障害者のための差別的な特別な枠があり、それに合わせた処遇をしたと考えられることなどを総合考慮すると、教諭に採用せずに助手に採用した被告の動機、目的が極めて不公正なものである点で、裁量権の濫用としての側面が認められる。

4  以上を総合すると、七年間助手という不合理な身分に据え置いたことにより教諭採用時期が昭和三七年四月一日まで遅れた点でも、教諭採用時期の点で、社会通念上承服しがたい著しい裁量権の踰越、濫用があるといわねばならないが、そもそも、同三〇年五月一日に原告を教諭または助教諭に採用せず、助手に採用したこと自体が、特に聴覚障害者の差別と強く結びつき、地方公務員法一三条に違反する点で、著しい裁量権の踰越、濫用になり、原告に対する違法行為による権利侵害があったというべきである。

六  以上のような被告の違法行為の結果、原告は昭和三七年三月三一日まで助手であったために一旦組合員資格が終了したものとみなされ、退職一時金が支給されたため、地方公務員等共済組合法の長期給付等に関する施行法一二条一項二号に基づき、同五八年四月一日から同六一年三月三一日まで、毎年右一時金に対応するものとして共済年金より一定額が控除されたのであり、従って、前記のような行為及びその継続がなければ、同三七年四月一日において組合員資格の中断という扱いを受けることはなかったし、退職後共済年金より一定額の控除を受けるという扱いを受けることもなかったのであり、その控除による損害は前記認定のとおり合計一〇九万六〇六六円となり、また、被告の差別行為により、原告には精神的苦痛も発生している。

従って、右被告の行為は原告に対する不法行為に該当する。そして、右不法行為は被告の府知事及び任命権者らがその公権力を行使するに当たり故意に原告に対し、教諭としての採用差別という不利益取扱を行った結果、原告に対し損害を与えたものであるから、被告は国家賠償法一条により原告に対し損害を賠償する責任がある。

七  消滅時効について

1  民法七二四条前段の消滅時効

(一)  同法前段にいう「損害及ビ加害者ヲ知リタル時」とは、加害者に対する損害賠償請求が可能な程度に、具体的な資料に基づいて当該不法行為による損害とその加害者を認識することを意味すると解するのが相当である。但し、損害の程度・数額を具体的に知ることまでは不要である。

(1)  まず、原告が昭和五八年四月一日以降受け取るべき共済年金から控除を受けたことによる損害について検討する。

年金制度については、専門的知識なしには容易に年金請求権の内容を知り難いこと、控除損害を請求するにしても、その本体たる年金の給付条件自体を具備していることが必要となること、そして、年金額の決定の方法、計算方法、控除の制度なども逐次変更されることから、原告としては、現実に退職して年金の支給決定を受けるまでは、損害がどのような形で発生するのかを知ることができず、従って、本件においても、右損害及び加害者を知った時点は、共済年金額の決定が原告に通知された昭和五八年七月一四日であり、本件訴訟の提起により、同六〇年九月一二日に消滅時効は中断されている。

(2)  次に、原告の精神的苦痛損害の点について検討する。

本件における不法行為は、原告が助手の地位に置かれ、教諭に採用されなかったという差別的取扱が対象となるが、教諭採用後も退職時まで、任命関係継続の中で、従前の差別による給与面等の不利益取扱を引継ぎながらも終始新たな差別的取扱が日々継続していたとみるべきである。従って、右差別的取扱により原告が受ける精神的苦痛についても、右差別的取扱に対応して日々発生するというべきである。この点、損害の発生としては年金控除にともなう精神的苦痛の発生までが含まれるわけであるが、その間の日々の損害が相互に関連、影響しあって全体が確定するような進行性の損害と認められる特別な事情もなく、日々発生する精神的苦痛損害自体は、日々認識可能というべきであり、従って、発生後三年の経過により順次消滅時効により消滅するということになる。

そこで、精神的苦痛損害は、本件訴訟提起の日であることが記録上明らかな昭和六〇年九月一二日から遡って三年の同五七年九月一二日以後に発生した損害については、起訴により短期消滅時効が中断されるが、同月一一日以前に発生した損害については、消滅時効により消滅しているというべきである。

2  民法七二四条後段の除斥期間

(一)  同条後段には「不法行為ノ時ヨリ二〇年」とされているが、これを加害行為の行われた時から二〇年と解すると、行為後一定期間を経てから損害が発生する場合に損害賠償請求権が発生する前にその除斥期間が進行を開始するという矛盾が生じるから、「不法行為ノ時」とは不法行為の成立要件が充足された時、即ち、加害行為がありかつそれによる損害が発生した時を意味すると解するのが相当である。

もっとも、通常の場合は、加害行為時に、仮に損害が未だ現実化、顕在化していないとしても、それが将来現実に発生すべきことの認識が客観的に可能であり、従って損害賠償請求権も客観的に行使可能なので、行為の時をもって損害が発生したものとみなし、従って損害賠償請求権も発生したものとして処理し、その時点から除斥期間が開始するものとして扱うのが相当と解される。

(二)  本件においては、共済年金の控除損害が現実に発生すべきことの客観的認識は、現実に年金額の決定があるまで可能とは言いがたいので、右控除損害についての損害賠償請求権の除斥期間の起算点も又、共済年金額の決定が原告に通知された昭和五八年七月一四日と解すべきこととなり、本件訴訟の提起の時点においては未だ除斥期間は経過していない。

精神的苦痛による損害については、日々発生して二〇年の除斥期間が経過することにより次々と消滅するので、本件訴訟提起の日から遡って二〇年の昭和四〇年九月一二日以前に発生した損害については、起訴により除斥期間の問題としては消滅することはないが、同月一一日以前に発生した損害については除斥期間によっても、消滅しているというべきである。

3  なお、原告は、仮に加害行為及びそれによる損害が発生しているとしても、被害者が損害賠償請求権を行使することできない事情がある場合には、消滅時効は進行せず、本件において、原告は、七年間にわたって聴覚障害故に非人道的、屈辱的な差別を受けていたため、同三七年四月一日以後教諭に採用された段階で再び被告による差別的取扱を恐れ、あるいは自己の地位を失うことを慮って到底被告に対する裁判等というものは考えられなかったために、昭和三〇年五月一日から同三七年三月末日までの被告による差別的取扱に対し、同年四月一日以後退職時まで、慰謝料等の損害賠償請求権を行使することは到底できなかった旨主張する。

しかし、民法一六六条にいう「権利を行使することを得る時」とは法律上の障碍を受けることなく権利者がその権利を主張、行使し得る時であり、法律上の障碍とは、権利そのものの性質上権利に内在する障碍のことを指し、権利者の不在や疾病、心理状態などはこれにあたらないものであるから、原告の主張するような全くの個人的な気持ち、事情については、権利そのものの性質上権利に内在する障碍とはいえず、法律上の障碍にはあたらない。

八  以上より、原告が本件において請求しうるのは、前記年金控除損害の一〇九万六〇六六円全額と、昭和五七年九月一二日以後に発生した精神的苦痛損害に対する慰謝料ということになる。

ところで、右慰謝料の算定については、不当にも差別されて助手の地位に置かれたことにともなう屈辱感等の精神的苦痛が基礎となるところ、原告において、過去の差別的取扱が年金控除にまで影響することを知ったことにより、右苦痛が鮮明化したともいえるし、年金控除に関する原告の相談等に対する教育委員会側の不誠実な態度が、原告の損害賠償請求の機会を遅らせ、ひいては原告に対する差別修復の機会を失する結果となった面が窺われることなどを考慮するとしても、他面、消滅時効により消滅した部分の多いこと、実際的な面で差別行為による損害の基礎となるのは教諭採用が遅れたことによる給与差額等を発生させている点であり、右給与差額金の請求権自体が短期消滅時効により消滅していると考えられること、差別による精神的苦痛は社会的な改革、法律の改正、時間的経過等により日々薄らいでいく性質のものであること、年金控除にともなう精神的苦痛というのは、本来は控除分の金銭的回復により大部分が補償される性質のものであることなどを考慮すると、昭和五七年九月一二日以後に発生した精神的苦痛による損害に対する慰謝料は五〇万円をもって相当というべきである。

したがって、被告は、原告に対し、前記年金控除損害一〇九万六〇六六円と慰謝料五〇万円の合計一五九万六〇六六円及びこれに対する損害発生後である昭和六〇年一〇月一八日(訴状送達の翌日)から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

九  結論

よって、原告の請求は右の限度で理由があるので、これを認容するが、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条ただし書、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀口武彦 裁判官 金子武志 裁判官 水口雅資は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 堀口武彦)

別紙<省略>

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